秘密の蛍
東京怪談ノベル(シングル)。元シチュエーションノベル(シングル)です。
初めましてのPCさんです。
PCさんと幼少期親しくしていた「私」視点からのお話です。
「私」が気付いていない、PCさんのリビングデッド感を出すのが楽しかったです。
今回よりノベルの名称と形式が変わっています。
誰にでも秘密がある。そう、一生の内一度くらいは、墓場まで持っていく秘密が出来てしまうものだ。
彼女のことを、私は誰にも話したことがない。親にも友人にも、束の間の想い人にも。
信じてもらえないから黙っている訳じゃない。
彼女は蛍火のような存在だった。人に話してしまえば、私の思い出から消えてしまいそうな気がして、胸の内にしまっておきたかった。小さな子供が、ガラスの指輪を大切に隠しておくように。
……あの頃、私は六歳だった。
「だから、アイツはまだ帰って来ねぇんだよ!」
「なんで? なーんーでー!」
ピカピカのランドセルを背負って、私はふくれっ面で訊き返した。
春から通う小学校のために、ランドセルを買ったばかり。
ピカピカの靴に、ピンク色のランドセル、キラキラ光る蛍光色のランドセルカバー、花柄の白いワンピース。
お気に入りの物に囲まれているのに、大好きなお母さんが今日もいない。
「単なる家出だよ」
吐き捨てるようにお父さんが言った。
「イエデって、なに?」
「長い散歩のこと。なげぇなげえ散歩」
私は納得がいかなかった。
気を紛らわせたくて、ランドセルを背負ったままクルクル回って遊んでいた。
それを見て、お父さんが呟く。
「……ウッゼェ」
当時の私には嫌なことがたくさんあった。お母さんがいないこと、お父さんのタバコの臭いと黄色くくすんだ壁、おばあちゃんの陰口、幼稚園の威張りたがり屋。
好きなこともたくさんあった。ツツジの蜜を吸うこと、たんぽぽの綿毛を飛ばすこと、お気に入りの服を着ること、可愛い靴を履くこと、シャボン玉で遊ぶこと。
何より彼女――“みぃちゃん”と話すこと。
みぃちゃんは、私が住む団地の向かいに建つ空き家に住んでいた。
私の誕生石のエメラルドと同じグリーンの瞳をしていた。
みぃちゃんは私のお母さんより年上そうだったけど、私は決して「おばさん」とも「お姉ちゃん」とも呼ばなかった。
――みぃちゃんは、大きなお腹をしていた。
「……そう、今日はそんなことがあったのね」
みぃちゃんの声は柔らかくて、ゆっくりゆっくり、広がる。
「みぃちゃんは、幼稚園のときねー、どんな子だったの?」
ふと思いついた質問だった。
みぃちゃんは曖昧に微笑んで、首を微かに傾けた。
「……覚えてないの」
「そっかあ。寂しいね」
空き家の床は冷たかった。
私はみぃちゃんの膨らんだお腹に耳を寄せて、甘えるのが好きだった。
みぃちゃんの赤ちゃんはいつも大人しい。
私がお腹に抱きついても、まるで命を感じなかった。
「赤ちゃん、お腹蹴らないの?」
「…………そうね」
「男の子? 女の子? いつ産まれるの?」
「………………秘密、ね」
「みぃちゃんって、肌、冷たーい」
「…………そうね」
「どうしてー?」
「………………秘密、ね」
私はお母さんが読んでいた本を思い出した。肩越しに見た本の文章。誰かの台詞だった。
お父さんのいない夜だった。
“だれにでもひみつがある。そう、いっしょうのうちいちどくらいは、はかばまでもっていくひみつができてしまうものだ……”
――みぃちゃんは、まだ寒い春でも薄手の服を着ていた。今にも破けそうな布を通して、古い土の匂いがしていた。
「……みぃちゃんって、よく分からないね」
「……怖い?」
「……ううん。好き。みぃちゃんの声、あったかいの」
みぃちゃんのお腹ははち切れんばかりに膨らんでいて、今にも赤ちゃんが生まれそうだった。
なのに氷みたいに冷えている。
白い吐息を吐きながら、私はみぃちゃんのお腹を撫でて、土の匂いに溺れていった。
そして土の底――夢の始まりに落ちていく頃、みぃちゃんの声がした。
「私もあなたが好きよ。あなたといると想像するの。私の子供が産まれたら……」
――ドォン!
低い音が、私の記憶を黒く塗りつぶしていく。
(やめて! やめて!)
(今日は良い思い出だけを思い出したかったのに!)
心の中で叫んでも、一度ほどけた秘密の結び目は、もう元には戻らない。
ほどけて、絡まって、ほつれていくばかりだ。
信号無視で突っ込んで来た車から私を守るために、みぃちゃんは盾になったのだ。
私は叫んだ。
確かに、叫んだ。
だけど言葉が出なかった。掠れた音のうねりが生じたに過ぎなかった。
みぃちゃんは、倒れなかった。風船のように膨らんだお腹を大きく反らせ、枝のようにしなっていた。
瞬きの後、私は確かに車が横転しているのを見た。
身体が震えて、震えて。
両腕で肩を抱いても、止まらなかった。歯がガチガチと音を立てた。
三月の寒い日だった。
白い吐息が幾つも幾つも現れて、空へ向かって消えていった。割れていくシャボン玉みたいに見えた。夢の終わりを告げていた。
みぃちゃんは、私を抱きしめて囁いた。
「怖がらせたのね……ごめんなさい……」
それがみぃちゃんと会った最後の日だった。
彼女は淡く、儚げに、私の記憶の中で揺らめいている。
守らなければ消えてしまう、蛍火のよう。
その微かな光に向かって、私は時折声をかける。
あのとき言えなかった、続きの言葉。
「怖くなかった。みぃちゃんのことを怖いなんて、思ってなかった」
彼女には届かなかったけど、確かにあのとき、私はこの言葉を叫んだのだから。
「――ママ!」
終。
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【8912/鹿羽根・ミオモ/女/30/リビングデッド】