| Id:199523 「大人びた少女、無邪気な女」(07/17) |
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あお。 と女は喋りだす。あお、ほら、もうグラスに入れた氷が溶けてる。今日も暑いね。さっき飲んだば かりなのに、また喉が渇いちゃった。あおも水飲む? 話しかけられたわたしが無言で頷くと、女は笑うのだ。 「トイレが近くなっちゃうね」 青……蒼……アオ……。 思いつく字はそれくらいだった。どの“あお”がわたしに当てられているのかわからない。 漢字にするときは一文字で、なんて決まりはないのだから、亜緒だっていい筈だ。 あおという二つの母音の組み合わせが、わたしを示している。その事実に慣れるのに三日かかった。今はわたしに似合う漢字をよく考える。 まったくもう、という女の声。 「まいにちが。たいくつ。なんだから」 聞こえてくる溜め息とは裏腹に、抑揚がなくて、おまけに読み取り辛くなったレコードみたいな喋り方だ。退屈かそうで ないかなんて、女にはどうでも良いことなんだろうとわたしは思う。 六畳程の狭い場所に、どうしてわたしたち二人が居続けなければならないのか。 朝も昼も夜も。 わたしたちは何もせず、ただ飲み物を飲みながら窓の傍で座り込んでいるだけだった。 外に出ようにも、ドアがない。 冷蔵庫を開けてみる。水の入ったペットボトルと、それから小さな冷凍室に氷が少し。不思議なことに、飲んでも 飲んでもなくならないのだった。 ボーン。ボーン。ボーン。ボーン。ボーン。ボーン。ボーン……。 鐘の音を数えていた女が晴れ晴れとした表情で言った。 「ああ、お昼の時間ね」 それを合図に、窓を開ける。 そよ風に混じって、蒸れた葉っぱの匂いがした。 「見て。今日も虹が綺麗よ」 「うん」 女の言う通り、窓の外には鮮やかな虹があった。作り物みたいに、くっきりと 浮かび上がっている。わたしがそれに気付いたときから今日まで、少しも退かない。空の居候だ。 「綺麗ね、綺麗ね」 弾んだ声を出す女の隣で、わたしはうんざりしていた。 毎日よく感動出来ることだ。 こんなときは、わたしがあれを口に出す番なんだろうな。そう思って、仕方なく言葉にする。 「まったくもう。毎日が退屈なんだから」 そしてまた今日と同じ明日が来るのだ。 |
| Id:177390 「会話」(09/19) |
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「はいもしもし……何だ、村田か。休日の朝くらい寝かせろよ」 「もしもし。安岡か。本物の安岡だな」 「だから何だよ。そんなの電話かける前にわかってることだろ」 「確認しただけだから気にしないでくれ。で、お前は今どこにいるんだ?」 「あのな、家の電話だぞ。自宅にいるに決まってるだろ」 「俺はどこにいると思う?」 「酔っているのか」 「真面目な質問なんだ。俺、知らない部屋にいるんだよ」 「ああ、そういうことか。はは。それなら、隣で寝ている女に聞いたらどうだ? ここはどこですか、アナタは誰ですか、夕べ僕たちは何をしましたかってさ」 「そうじゃない! 部屋にいるのは俺一人だ。朝起きたら知らない部屋のシングルベッドにいたんだ」 「本当かよ」 「声が大きすぎるぞ、もっと抑えてくれ!」 「どんな部屋なんだ」 「真っ赤な壁紙のせいで頭がおかしくなりそうだ。 窓がないから外の様子はわからない。広さは十畳くらいで、それから――」 「それから?」 「ドアがある」 「だったらそのドアを開けてさっさとその家から出て来いよ」 「俺だって出来たらそうしたいさ」 「鍵がかかってるのか?」 「いや、ドアの把手は回せた」 「さっさと開けて出て来いよ」 「だから駄目なんだよ!」 「開けられない理由があるってことか?」 「ああ」 「ドアの向こうに、誰かいるのか?」 「……………………」 「まさか、悲鳴が聞こえてくるなんてことはないよな。おい、何とか言えよ!」 「ど、怒鳴らないでくれ! 頼むよ……お願いだから」 「弱々しい声を出すなよ。今しっかりしなくちゃいけないのはお前なんだから。誰かいるのか?」 「誰もいないんだ。それが問題なんだよ。俺が動かない限り何の音もしないんだ。足音も、泣き声も、叫び声どころか、 時計の音も。何も聞こえてこないんだ!」 「気は確かなのか?」 「正常な判断力で、ここから出ようと思ったさ。この部屋ときたら、耳を澄ましても 音ひとつしない――どうしてこんな狂ったような色の部屋に俺は一人で置かれているんだよ。 誰が何の目的でしたんだ! 震えながらも俺は勇気を出して歩いた。やけに床が軋むじゃないか! ギシギシ、ギシギシだ。わかるか。“この部屋にはいたくない”。ドアの前に行って、把手を掴んだ。 どうなったか想像つくか?」 「――……」 「ドアが鳴ったんだ――本当に大きな音だった。人の叫び声にも聞こえた。雷を食らったように、 俺は理解した。あれは黄泉への扉だ、開けちゃいけない! それきり、ドアには近づけない。 でも、そしたら今度は部屋の静けさが前よりも一層気になって――。耐え切れなくなってお前に電話したんだ。 なぁ、俺はどうすればいいんだと思う。どうすれば助かるんだ」 「本気で言っているのか? 本当にどうしたらいいのかわからないのか?」 「頼むよ、答えてくれ。俺はここから出られないんだ……。知らない部屋、血の色の壁紙、 吐き気がするくらい軋む床、黄泉への扉――知らない奴がいた方がマシだった! これはどういうことなんだ、 何でここに連れてこられたんだ、俺はどうしたらいいんだ?」 「早々にドアを開けて出てくることだな。もう切るぞ。今日はもうかけてくるな、互いに疲れているんだよ」 「き、切らないでくれ! 後生だから、俺の携帯の充電が切れるまで喋っていてくれないか。 孤独感と静寂が絡まって、嫌な想像がどんどん広がって行くんだ。ほらまた床がギシギシ言いやがる。 お前は笑うかもしれないが、俺はこの部屋から一生出られない気がして仕方がないんだ。な、わかるだろ? ギシギシ、ギシギシだ」 |
| Id:121253 「記憶街路樹」(03/10) |
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――貴方の感性を並べてみませんか―― 毎年五月の第二日曜日に、感性コンテストは開かれる。廃校になった小学校を借りて、 一般市民の感性を飾るのだ。 『一等に選ばれた作品は名前入りで公民館に飾られます。飛び入り参加大歓迎! 受付は正午まで』 看板を確認してから、人々は校内に入る。 所狭しと並べられた感性――油絵、水彩画、写真、ガラス細工、粘土で作った人形、木の小箱……。子供が 走る、親が怒る、小さな埃が舞い上がる――毎年変わらない光景だ。 だが古びた柱時計が十一時五十五分を示したとき、場の雰囲気を変えるものが運ばれてきた。 ――記憶街路樹。 老人はそう説明すると、細長い若木から葉を取り、審査員たちに配り始めた。 ――まぁ、食べてみてください。 「甘い」 四人の審査員の内の一人はそう漏らし、別の審査員は「苦い」と顔をしかめた。残り二人は 戸惑いながら葉を噛む――ほろ苦い。 老人は満足げに微笑んだ。これは人生感によって味が変わります。年をとればとる程、味に深みが出る―― 周りの人もいかがですか。 「一等は記憶街路樹に決定ですな」 賛成の声が上がる中、審査員の一人は納得がいかないようだった。確かに良いものだが、これは 食べる皆の感性だ。貴方のものではない。 騒ぐ参加者たち。老人は目を細めた。 ――いいえ。味は皆様のものですが、これを作り出したのは私の感性です。生と死の岐路に立った時、 自分の老体を寂しく思わないようにと私は願い、死後、願いは若木になった。これを皆様に託しに来たのです。 この若木を枯らしたくはなかった―― 様々な声が飛び交う校内。 老人の姿はどこにも見当たらなかった。 |
| Id:000044 「飲まれる、詩、雨」(04/25) |
一粒の雨が海に飲まれていきました。 さらにもう一粒の雨も海に飲まれていきました。 雨は海に飲まれていきました、 雨は海に飲まれていきました、 雨は海に飲まれていきました、 雨は海に飲まれていきました、 雨は海に飲まれていきました、 雨は海に飲まれていきました、 雨は海に飲まれていきました、 海も飲まれていきました。 |